2020-02-28 第201回国会 衆議院 予算委員会 第18号
この問題に関して、先日、消費者庁からやはり処分を受けた48ホールディングスの淡路会長が、総理の桜を見る会の前夜祭に行っていたんじゃないか、あるいは地元下関の花火大会に行っていたんじゃないかということを聞かれて、その人は知らないと、総理は全く関係ないというふうな答弁をここでされたんですけれども、実は、淡路さんの代理人弁護士が、昭恵夫人のUZUハウスのクラウドファンディングに資金提供していましたということを
この問題に関して、先日、消費者庁からやはり処分を受けた48ホールディングスの淡路会長が、総理の桜を見る会の前夜祭に行っていたんじゃないか、あるいは地元下関の花火大会に行っていたんじゃないかということを聞かれて、その人は知らないと、総理は全く関係ないというふうな答弁をここでされたんですけれども、実は、淡路さんの代理人弁護士が、昭恵夫人のUZUハウスのクラウドファンディングに資金提供していましたということを
実態は公費を使った選挙活動、下関で支持者呼びまくった安倍事務所、二転三転する私物化の証明、疑惑にまみれた前夜祭、矛盾だらけの答弁、これは地元下関市の新聞でございます。
今回取り上げさせていただきますのは、私の地元下関にあります梅光学院という学校でございます。随分長い歴史を持っておりまして、その一番の原点は、一八七二年、これ明治五年になりますんですが、長崎にアメリカから宣教師がやってまいりまして、聖書を教科書として英語教育をするという、そういう夜間英語塾として始まった学校でございます。
新幹線については、東海道新幹線ができて、その後、ひかりは西へということで、どんどん西に向かって新幹線は延びていったわけでございますし、江島委員の地元下関に駅ができたときのあの市民の喜びは今でも記憶に残っているところでございますが。 福井開業前倒し、地元でですね、福井開業前倒しの強い強い要望があることは承知をしております。
かつて私の地元にあったある部局が九州に、博多に変わったときに大分反対をしたんですが、むしろ彼らの給与は手当が博多に行くことによって上がるわけですから、これはむしろ国にとっては給与が増えてしまうと、私の地元下関にした方がいいんじゃないかということを主張したわけでありますが、そこで働いている人は博多に行きたいという人たちが残念ながらいたんですね、その給付もありまして。
御地元下関にも大変な捕鯨関係の関係者もいらっしゃるからもう総理は一番よくお分かりだろうと思いますが、一刻も早く商業捕鯨を再開をさせねばならない、このことは繰り返し総理も答弁をしていただいております。
そして、実際、そこで戦闘、あるいは攻撃を受けるような可能性があるところにおいては、掃海活動というのはほとんどできないわけでございまして、私の地元、下関の吉見というところに掃海艇の基地があるわけでありまして、その訓練等も見たわけでございます。これは非常に繊細な作業を行うわけでございます。
元に戻すということになったわけでございまして、小規模事業者・中小企業も含めてそうした賃金の引上げの輪が広がっていくように我々も後押しをしていきたいと思っておりますし、税制上も賃金を引き上げた企業に対する優遇措置も行っているところでございますし、また、中小・小規模事業者においては、ものづくり補助金等の対象は賃金を引き上げた企業を優先的にというような政策的な誘導も行っているところでございまして、私の地元、下関
平成十年、年が明けて間もなくでしたけれども、池永氏の地元下関を中心に、復権を願う十万人を目標とした署名運動が行われました。一カ月余りで十八万七千二百十八人という市民の署名が集まりました。確かに同情心もあったと思いますけれども、しかし、やはりプロ野球機構の姿勢に対する批判、そして人権という問題を真剣にとらえた一般市民の方々の良識の結果であったろうと思います。
平成十年の年が明けて間もなく、池永氏の地元下関を中心にしまして、その復権を願う十万人を目標とした署名運動が行われたのです。そして、たった一カ月余りで十八万七千二百十八人という市民の署名が集まりました。確かに、同情心もあったと思います。しかし、やはりプロ野球機構の姿勢に対する批判、そして何よりも、人権という問題を真剣に考えた市民の良識ある判断の結果であったと私は思います。
私の地元下関は、本州の西端、関門海峡に面します要衝でありまして、古くより中国大陸、朝鮮半島との交流の基地、そしてまた貿易港として栄えてまいりました。そのような土地に育った私は、自然と、港そしてまた海運に深い愛着と関心を抱いてまいりました。
さきに申し上げました私の地元下関におきましても、運輸省の御高配によりまして「あるかぼーと下関」というような種々の港湾施設を複合した新たな生活空間の創造が進められており、感謝をいたしておるところでございます。
そこで鯨の問題ですが、これは私の地元下関では大変反響を呼んでおりまして、かつて鯨の町で栄えたわけでありますが、鯨がこれから三年の後には全く食べられなくなるということで、いろいろなことでわあわあ言っておるわけですが、これは簡単に言えば、結局年間の捕鯨収入とその他の魚介類、つまりアメリカの二百海里の問題との差し引きどちらをとるのが得策がというふうに考えての結果だと思うのです。